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2012年9月19日水曜日

大きな出来事3つ「磯さん」

こんにちは。

最近、大きな出来事が3つ重なった。

何を考える必要があって、何を考える必要がないのか。

その区別がわからないぐらい、困惑していた。

ここに、何が起こって、何を感じて、何を考えいたかを記した。

大きな出来事3つ。

①磯さんが亡くなった。
②第1回目の写真展を開いた。
③ホストをやっていることに、親父が泣いた。

ここには、「①磯さんが亡くなった」について記載します。

2012年9月15日土曜日

朝起きて、写真展の準備をいつものようにしていた。

月曜日から写真展を開くので、切羽詰まっていた。

挨拶文を考えて、写真を現像していた。

PM2時半

仕事が始まる前に、いつものように昼飯を食べようとした。

選んだのは、家の近くのすき家。

席に座り、携帯を見た。髙原から着信があった。

10月に東京来る、うんちゃらの話をしていたことを思い出しながら、気軽に電話をかけた。

俺「どうした?いつ東京来ると?」

髙原「まだ決まってない。それよりも、磯さんが亡くなったぞ。今日はお通夜で、明日は葬式。お前、どうする?」

ここから、激動の3日が始まった。


髙原からの電話をきり、少し考えた。

迷うことなく、葬式に行く事を決めた。

そんな選択肢をとった自分自身に驚いた。

なんてかね。全く、迷わなかった。

実際に、「行く」と決めて、2つのことを懸念した。
・ホストの仕事を休めるか?
・17日の写真展までには東京に戻れるか。

懸念すべきことが出てきたものの、迷うことはなかった。

ホストの上司(清明さん)に、「そんな勝手なことが出来るか。お前、店辞めろよ。」て言われても、「すみません。これは譲れないです。辞めてもいいです。」って答えていただろう。

なぜか、そのぐらいの意気込みがあった。

実際には、清明さんに事情を伝え、休みをもらえた。

飛行機の時間を調べ、長崎に向かった。


PM5時半
空港で、飛行機を待ちながら、泣いていた。

なんていうんやろう。

磯さんは、同級生の磯の父親にあたる。

南山の監督を努めるほどの野球好きで、勝つ野球を知っている人だった。

高校3年の春ぐらいから指導してもらうようになった。

思い出に残るのは、春の大会で負けた長商に、NHK杯で2-1で勝てたこと。

他にも、夏の大会で3回戦まで進み、清峰と9回まで勝負出来た。

功績の大半は磯さんのお陰だった。

北高野球部の人なら、それは誰もが認める。

なんていうんやろう。

今の俺にとって、北高野球部の連中は、一生の仲間になっている。

大学の頃も沢山遊んだし、就活でも助けられた。

今回も野球部の連中にしか会っていない。

これからもきれることのない関係だろう。

そんな関係を築けた1つに、磯さんの功績もある気がするんよ。

別の言葉で言えば、

磯さんというピースを抜かして、高校の頃の思い出すことも出来ないし、これからの未来を築くことも出来ない。

なんやろーなー。

色々と考えていたら、涙が出てきた。

いやありがてえなって。

磯さんに何が出来て、これから何をやっていけばいいんやろーって。

1人ぐらいには、伝われ。

この思い。


ここからは、自分が考えたことを書いた。

①自分の中の優先順位
②行きたい葬式に参加するために、生きていく人生
③これから出会う人と、どう接していくか
④その人がいなくなることを想像して、言いたいことを伝えておく

①自分の優先順位
今回、ホストというしばりがあった。

代表に事情を伝え、急遽、2日の休みをもらうことが出来た。

日本において、仕事の数時間前に休みを貰えるって、どれだけ可能なことなんだろう。

そこまで多くない気がする。

休みをもらえたことが当たり前だとも思っていない。ホストの仕事をなめているわけでもない。

ただ、クビにするぞ!て言われても、長崎にむかう自分がいた。

「人の死」は、時間もお金も、全てを超えた。

普段は、打算的に生きていて、好きなことしかやらず、付き合いが悪い俺。

そんな俺でも、迷うことがなかった。

そりゃ思うよ。

生きていく上で、自分の優先順位ってなんだろう?って。


②行きたい葬式に参加するために、生きていく人生
俺と磯さんの距離は、近いわけではなかった。

仲いいとは言えなかったし、3年間ぐらい会っていなかった。

この距離感で、迷うことなく、長崎に帰る決断をした。

違った言い方をすれば、この距離感で、目の前のことを投げ出した。

こんなことが続いた場合、どうなるんだろーって思った。

どれだけ、自由に生きていくんだろうー。

どれだけ、人様に迷惑をかけて生きていくんだろー。

今回は、真面目にホストを頑張っていたし、ある程度の結果も残していた。

だからこそ、代表の清明さんは、急遽の頼みを了承してくれた気がしている。

そういう意味では、2つ。
・誠実に、真面目に、普段から生きていかないけん。
・葬式に行くことの優先順位が高いなら、さらにも増して、真面目に生きていかないけん。

行きたい葬式に参加するために、生きていく人生でもあるのあかな、って思ったね。


③これから出会う人と、どう接していくか
太郎さんに、「1年の中で読む本は限りなく少ない。」って言われた。

発言の真意は、「計画して本を読まないといけないし、読んできた本は貴重だよ。」てことだろうと思う。

ほんなら、「1年の中で出会う人も少ないんだろうな。」って思った。

さらに下記の条件が組み合わさった。
・人が死ぬことを体験した。葬式に行くことの優先順位が遙かに高かった。
・ホストの仕事=人との出会い。
・写真展で、昔の友人が来てくれた。

この話は別にまたしよう。

これから出会う人と、どういうふうに接していったらいんだろーって考えている。

④その人がいなくなることを想像して、言いたいことを伝えておく
磯さんの件で、「自分の正直な気持ちを伝えておきたいな。」って、思った。

アメリカのシアトルにいるときも、同じようなことを考えた気がする。

はて、次のことを実行する。

「友人や大切な人に対して、伝えておきたいメッセージを400字でブログかサイトに記す。」

設定としては、
・友人が亡くなる直前。
・最後に、400字だけ文字を読める状態。

感謝の気持ち的なものにどうしてもなるけど、しゃあない。

良い人みたいに思えるけど、その記事に載っていない人は、距離があるだろうってことを示すことになる。

非情で薄情でもある。あまりにも批難があったら、消そうと思う。

要するに
今考えていることは
①自分の人生の優先順位って何か?
②これから出会う人と、どういうふうに付き合っていくか
③どんな感じの人生を過ごしたいか


終わりに
何を考える必要があって、何を考える必要がないのか。

その区別が今でもわかっていない。

とにかく、色々と考えたことを流れるままに書いた。

最後に1つ言えば、感じ方は色々あるよね。

葬式に来れなかった野球部の人たち、特に野尻は、悲観する必要も幻滅する必要もない。

それぞれの状況がある。

このブログを読んで、何かを考えてくれたらいいし、同じミスをしなければいい。

これから、磯さんについて思い出したり、今回のことで色々感じたり、真面目に生きたりすることが、磯さんがやってくれたことに対するお返しにもなるだろう。って思っている。

そういうことで、大きな出来事の1つ「磯さん」でした。

この出来事は、自分にとって、半端無く大きかった。

考える日々は続く。

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