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2012年12月6日木曜日

片膝で立つ達郎

注意
これは、2011年03月27日にmixiで書いたものです。

わけあって、UPしました。

殴り書きなので、読みにくいっす。

小学校から大学までの生い立ちの話っす。

超、個人的な話っす。
こんばんは。わわわわです。 

卒業式後と、新社会人のとてもよい雰囲気と空気にみずをさすようで誠に申し訳ない。

また関係のない日記を書いた。書いたら止まらん。

今日のも、まあ明るくはないし、ほんとほとんど自分のこと。

やけん、興味ないと思ったら完全無視でかまへん。

まあ、あるトランス状態になる可能性がある事を感じて、そんときは助けてほしいなと思って。

ほな。

ぶいーーーーーーーーーーーん

俺は、音楽がないとやっていられない時がある。

いきなしこんな話ですまんそ。

それは、きつい時。例えば、練習後とかバイト帰りとか。

けれども圧倒的に多いのは、なぜか得てしまう感情を、そのままの普段の俺じゃあ受けとりたくない時である。そして、その瞬間は突然訪れる。それからとる行動としては、イヤホンを耳にさし、いかれるぐらいの音量で音楽を聞き、数時間ボーっとするか外に出る。

それらの、そのままの状態で受けたくない感情とは、よーく考え一言で表すと、「寂しさ、はかなさ、むなしさ」から来る物がとても多い。事に、最近気づいた。ゆたかが俺の日記を真似したように。どういう事がそういう感情をもたらすかというと、あくまでも例ばってん、弟、仲の良い友だち、音楽、本、友達の母さんの病気、友達の自殺、卒業、いじめ、仲間はずれ、不当な解雇、過ぎていく日々、楽しい日々。とか正直あらゆるもの全て。

感情→ある事柄。ある事柄→感情。

と、ある事柄に対する捉え方において、どっちが先かと言われると、ある俺の思考があって、感情を選んで、それから物事をみている可能性が高い。てかみんな基本そうやろうね。同じことでもみんなの捉え方は全く違うと言われるように。

そして、その感情をそのまま受け取ることを、恥ずかしいのか思いつめてしまう可能性があるのか、くそでかい音量の音楽でごまかす。

重要なのは、その感情によって、将来、人の助けが必要な時が来るような気がした。

なので先にいっとくが危なくなったら助けておくれ。

それらの「寂しさ、儚さ、むなしさ」的な感情が果たしてどこから来るのか?助けてくれとはなんなのか?自分では、なかなかそれはわからんとやろうばってん、思い当たる節が少しあるので先ずは書いてみた。それは、通ってきた道。

次にそのまとめ的な事を書いてみた。

ぶいーーーーーーーん

通ってきた道 
通ってきた道が関係あるように思うので、小学校から大学まで関係ある事を書いてみた。

小学校は城山小学校という所。原爆落下中心地から二番目に近い学校で有名なのかな? 

それでもって、本当に善人と呼ばれる人とその周りで過ごした。

ベアーズというソフトボールのメンバーしかり。それらに関わっている人。クラスメート。先生。近所の人。

知らぬだけなのかもしれぬが、いじめなどなかったように思う。

おそらく本当に良い人達が周りにいた環境で、幼少期を過ごした。


そして、中学生になった。

中学校は、基本二つの小学校の生徒からなる。

そこで、先ず疑問が表れた。あれ?なんで、こんなに人に冷たいんだ?。

今でも憶えている。

全員がそうというわけではない。

知らぬ地域から来た人であったため、恐れが見ず知らずのうちにあったのかもしれない。

井戸の中の蛙だったのかもしれない。

自分の小学校が、善人と呼ばれる人だらけだったのかもしれない。

批判しているわけでもなく、いいとかでもなく。

こう書くとおもろくなかった。みたいばってん、めちゃ中学自体はおもろかった。

ただ、そのいくつかの疑問に対して適応は出来たため、そんなもんだと思ったと思う。

その時に考えていたことを、今は覚えてはいない。

ただ、何か冷たさと違和感を感じた事は覚えている。


そして、高校になった。

高校は、進学校であった。そこでまた、疑問が表れた。

最初は、なんで女と喋らんのだ?。

中学校は男女関係なしに同じくらい仲良くて、それが当たり前やった。

ただ、高校の一年の頃のクラスは、何故か喋るのが許されぬ空気があった。

まあ今は覚えてはおらぬのだが、それを察してか、女と喋らぬようになった。

女との喋り方を一時期忘れた記憶がある。変なの。

次に、疑問に思ったのは、あれ?なんで人に優しくないんだ?。

なんかこれはもう理解できんくて、ようわからんやった。

人を差別したり、汚い言葉を使ったり。

可愛くない人がおった時の言葉ときたらまあ驚きやった。

人に優しくするのがイイとか、人を差別するのはよくないとか、そういう事を言っているのではない。

気づいたら形成されてた当たり前の考えによって、ただ、疑問が出てきた。

他にも、なぜ嫌われる事をするのだろう?って疑問もあった。

そこでそういう行動をとったり、発言したりすると、人に嫌われるのに、なぜするのだろうと。

ここでも、別に嫌われる事が悪いと言ってるわけではなくて。


大学になった。

大学ではそんな変な疑問は何も感じんやった。

よかやつに恵まれたのだろう。

ただ、時の流れ行く儚さや速さについては、もしくはそれからくるものについては、かなり考えたように思う。

みんなはそういう違和感や疑問を感じたことはあるかしら??

ぶいーーーーーーーーん

要するに、近所共々、みーんな仲の良い環境で育ち、それが当たり前だった。ただ、それは夢物語に過ぎず、人のヨロシクナイところを見始めてきた。

その成長する過程において、「寂しさ、儚さ、虚しさ」と呼ばれる感情で表されるものに、多くの違和感や疑問を持つようになった。ってことかな。

既出した例でいうと、周りは良い人達の元で育って、そこで人に嫌われる事をする人が出てきた。

腹がたつというより、なぜこんな事をしているんだろう?

そこには、寂しさ、虚しさがあるように思う。

そして、それら1と2の両方の結果が、自分があらゆる事柄を見る上での基礎になり、他にも色々ある中での、寂しさ・儚さ、という感情を、数多く選択しているのではないのか、と考えた。

高校のころは、こんな事はそーんな考えてなかったと思う。

結果としてみると、今まで書いてきた日記に、目に見えて沢山表れている。

野球が終わったときの弟の事と家族の事。親父のこと。生きること。感謝してること。貢献すること。仕事について。失敗と成功について。孤独についてこれから増す悲しみについて。長崎に帰って思ったこと。ELLEGARADENの休止について。の日記とかね。

ほとんど、「寂しさ、儚さ、虚しさ」から来るものだと気づいた。

重要なこと。

どうやら、小さい頃に培われたその思考で生きていると、おかしい部分が沢山出てきたし、でてくるっぽい。

おかしいと思う部分に、適合するとこはして、まあ生きてきた。

ただ、出来ない部分もある。譲れない物というより、精神というか根っこというか何というか。

そんなんありまっか?

ぶいーーーーーーーーん

とまあ書いてきたわけです。
そして、最初に助けてくれ、と書いたばってん、何を助けてほしいか。

1つ、普通なら感じる必要のない事まで感じて、それが仮に自分に責任のある事だとしたら、自分を追い込みそうな気がしましてね。なので、その時は助けてください。

2つ、誰かが言わないけんとき、手を上げないけんとき、動かないけんとき、俺はその役を買いそうな気がして、結果ダメージをくらいそうで。

例えば、雪印偽装問題の内部告発の例。おそらく、内部告発をした人は、勇気と意志を持って、告発したのだろう。ばってん、そのかわり、沢山の人からの批判もあっただろう。果たしてどっちの行動が正しいのか、わからんが、誰かが言わないけんとき、俺はその本人になりそうだ。他にも、なんやろう、これおかしくね?みたいな事があったら、自分の身を考えずに投げ出して、動きそう。そして、万人によいという意見はないので、ダメージをくらいそう。そんな予感がある。


なんか上手く伝える事が出来んですんません。

ぶいーーーん

最後です。
伊坂幸太郎さんの魔王という本に、主人公の人が、カフェで貧相なおじさんをみて泣くシーンがある。

その行動が理解出来て泣ける。

他にも、今でも自分の人生って自分のものなんかなあ。って考える事があったり、殺人をした人がいたとしても、俺はその人を完全には責めれないなあ、ホームレスやどこかの超偉い社長さんに会おうとも、俺もその人も何も変わらないのだろうな、と考える事がある。

それしかり、これから自分がとる行動や、考える事、働くにしても、起業にしても、生きていくにしても、立ち止まる時も、こういう事が俺の思考を作ってんのかなあと思う。

そして、その思考から何か生まれるんだろうと思う。

ただ、自分の思考を作っているやつが、他にも何かあるはずさね。

おそらくナカナカ探せんのだろうが、探さないけんきがする。

てか、またわけのわからんことばっか言ってごめんなさい。

もう本当、音楽がないとやってらんねえね。

ってことで、ルームメイトがホッケーの重要な試合があって超盛り上がってんで、そっちにいきます。

ほな。最後まで読んでくれてありがとう。

またイミフな日記ですまぬ。

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