最近ふと、そんな言葉を思い出した。
伊坂幸太郎の小説「砂漠」のひとこと。
ここ数日、進路について考えていた。
いろいろとあって、
来年から最低3年は長崎にいる可能性が浮上。
つまりは、一定の場所にとどまる。
そんなことを考えたとき、各々の場所で出会った人間関係が本当にありがたく思えた。
大学生活・ファミレス・カナダ避航・フィリピン留学・家庭教師・ホスト・路上販売・野球の旅。
長崎にいるなら、関東に住んでいいる人や韓国人とは会いにくい。
会えないにしても、Facebookで連絡はとれる。
そんな感じの、ギリギリ繋がっている人間関係が、すごくありがたく思える。
例えば、フィリピン留学。
「日本どうなん?日本人どうなん?どう生きていくん?海外やっぱおもろいよな?」
そんな話をできる友人がいるってことに、自分の心はかなり支えられている。
例えば、野球の旅。
「あのリーグおもろいっすよね!あの選手かっこいいすよね!」
海外野球の話で盛り上がれる友人がいることは、自分の人生を何倍も楽しくしている。
例えば、大学生活。
「あいつどうなってる?これからどうすっか?」
卒業しても連絡をとりあえることは、自分の驕りを消し去ってくれる。
例えば、カナダ避航。
「What's up? What are you doing? What will you do?」
海外の人とお喋りできることは、自分の心を明るく明るくしてくれる。
ギリギリ繋がっている人間関係が、すごくありがたく思える。
直接会わずとも、直接話をしなくても。
ここ数年の結果さ。
長崎にいることを想像したとき、思った。
人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことかな。
おれはいま24さい。
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