というのも、先日の話。
親と進路についていろいろ話し合った。
これからどうするか?
自分としては、今年は写真の活動をやり、来年からは働こうと思っていた。
区切りをきめて、この行動に力をいれたかった。
親としては、普通に働いてほしいと思っていた。
2年間自由に動いたのだから、そろそろ落ち着いてほしかった。
3日にわたる話し合いの結果。
まずは、予定していた台湾野球の旅がほぼ不可能になった。
「次また海外に行ったら、家に戻ってこさせないようにするぞ。勘当するけんな。」
父親は以前にもまして厳しい口調になっている。
つぎに、今年の東京付近の活動すら厳しい状況になった。
「長崎におれ。」
父親は強制するでもなく、怒るでもなく、寂しい感じで伝えてくる。
心中1。
台湾行きはまだしも、今年行動できないのはかなり痛い。
痛いというよりも、どうしたらいいかわからない。
写真展を東京でやることを公に発言しているし、
関東や海外で写真展をやる経験を体に刻みたい。
何よりも、お世話になっている人たちがいる。
心中2。
父親が寂しがっている。
なぜだ?なぜそんなにも長崎におらせようとする?
これは、長崎に一定期間でもいた方がいいのかもしれない。
「来年から長崎にいる。」
というのは、少なくとも3年は長崎にいることを意味している。
その期間、写真の活動や世界を旅するのは難しい。
アメリカはまだしも、東京すら遠い。
勘当されてでも、この道をいくのか。
今は親に従い、30代前半でまたこの道に戻るのか。
20年という長期の視点で動くのか、若さという武器を使って今動くのか。
決断をせまられている。
おやとおれとやきゅうとせかいと。
なんとか、今年は関東で活動できるように、父親を怒らせないように、
おとなしく暮らしている。
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