少し前、海外の野球を好きな夫婦と飯を食べた。
そのときに話題に上がったこと。
「海外に行くと、今を必死に生きようとするよね。」
今日はそんな話。
海外にいると、今を必死に生きようとする。
1日1日を無駄にしないよう、全力で動く。
問題を解決しようと、頭をフル回転させる。
伝わらない気持ちを、全身で表現する。
なぜ、今を必死に生きるのか?
滞在する期間が短いことをわかっているから。
日本では起こりえないハプニングが普通に起こるから。
小学生レベルのことも伝えられない言語能力だから。
日本にいると、自分が生きているのかどうか、わからないときがある。
ロボットのように、自分が動いている瞬間を感じることがある。
好きな作家である伊坂幸太郎の本の一節。
『この、しじみの砂抜きをしている時が、それを眺めている時が、もっとも幸福が感じられた。他の人間がどうなのかは分からないが、しじみの呼吸を眺めている時ほど、穏やかな気分になれることはない。人もこうやって、呼吸しているのが泡や煙で見て取れればもう少し、生きている実感があるんじゃねえかな。行き交う人が、口からぷくぷくと呼吸を見せていたら、暴力も振るいにくいだろうな、絶対そうだ、とも思った。俺はこのしじみを食っちまうけど。』
日本が優れているというわけではなく、海外が優れているというわけでもない。
海外に行くと、今を必死に生きようとする。
ただ、それだけの話。
ただ、それだけのものに、
俺は支えられている。
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