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2011年5月26日木曜日

おもろい世界

最近、思うこと。

世の中って、結構楽しい、おもろい事ばっかりな気がする。

はて、世の中が楽しいのか、生きることが楽しいのか、はてはて。

個人の話でいうと、メジャーリーグがわかるようになって、MLBも日本のプロ野球も、どちらもおもしろい。

本と漫画を読むのが好きなので、キンドルで本を読むのも楽しいし。

http://www.mangareader.net/これ使って、好きな漫画を読むのも楽しい。


最近ITにも興味を持ってきて、そっち系の話を聞くのもおもしろい。

写真や音楽を使って、動画を作るのも楽しい。

英語を使って、人と喋るのも楽しい。

フェイスブック、Twitter、ミクシイを使って、懐かしい友達と話すのもおもろい。

例えば、飲食店をやるとして、どんな店にしようか、考えるだけでもおもろい。

天気がいいと、歩くだけでも、楽しい。

かわいい人、綺麗な人をみると、それだけで、楽しい。

トライしてみるべきだ!と決心して、買った食べ物がおいしかったら、楽しい。

人から、自分が知らない、未知の分野の話を聞けたら、おもろい。

いい音楽を発見したら、昔を懐かしめたら、おもろい

。カードをするの、集めるのも、おもしろい。

まあ、元々興味あることが多いけん、こうなるかもしれ。

けどさ、世の中って結構おもろい、楽しい事おおいね。

はて、なぜこんな事を、改めて考えたのか?

①「人生は、厳しいものであって、一人だけ楽しむべきではない。」
って言う思想が、日本には沢山ある気がすんだよねえ。

日本だけちゃうくても、人間、にもかな。

②人って、おもしろいものや楽しそうなものを、作ったり、売っているんちゃうかなあ。
そうやって、世界って成り立っている部分があるような気がして。

それなら、それ全部受け取ろうと思って。

①に関して思うことは、日本って、他人、自分に厳しいなあって。

例えば、自殺者数。

日本の自殺者数は3万人。これって異常だよね。

何がこの原因かというと、色々厳しすぎたり、厳しいのに耐える結果ちゃうかな。

みんなに精神的にも、時間的にも余裕がないような事が起きていたりするんではなかろうか。

まあ俺も自殺しないとはいいきれない。

そんな時に、支えてくれる人がいたり、余裕があったりしたら、また変わるんじゃなかろうか。

他にも
①に関して思うのは、厳しいって、我慢をすることもニアリーで意図している。

結果として、辛いこと・悲しいことを生む可能性高いよね。

最近思うとけど、悲しい事、辛い事って、出来るだけ少ないほうがいいと思うんだよね。

なんかさあ、あの上司の厳しさのお陰で、今の俺があります。

とか、あの辛い体験のお陰で、今があります。とか、そういうふうな美談ある。

全部は否定せんけど、それおかしいなあと思う。

その人は確かにそれを乗り越えれてこれたけんよかった。

けどさ、乗り越えようとしても出来んやった人は、ただ悲しい・辛い結果を生むだけよね。

それが欝とか、自殺とかの流れになると、こりゃまあ最悪。

まあ俺もまだ22年しか生きてないし、まだ世の中の事さっぱりわからん。

けどさ、悲しい事とか辛い事とかって、何もしないでも、目の前に表れる気がするんだよね。

もしくは、何か楽しい未来を望んだら、向こうから、おはようって、来る気がするさね。

それを望んで手に入れようとしたり、それを生み出すようなこと積極的するのは、うーーんって思ってまう。

話が派生しすぎた。

厳しすぎるってのは、どうかなあと思う。

仮に、経済に軸をおいて話すなら、前は、ケツを引っぱたいて頑張る、って事をしていたら、上がってきていた経済成長が、それじゃあ、もういき行かなくなってきた。

そこで、
「なぜこんな厳しい事をするんですか?」
「その厳しい事をして、なんのために経済を成長させて来たんですか?」
「成長させてどこへ行くんですか?」

って質問に、個人でも社会全体でも、答えれんごーなってきた気もするなあ。

まあ、泣き言みたいな書いてるけど、個人的には、その厳しさに耐えれないとは思っていない。

東京で、結構大変なバイトもこなせたし、こんな性格悪い人間いるんだあ?って思った飲み屋のバイトもこなしてきた。

ある程度なら良い人付き合いも出来る。

ただ、その厳しいという事が、ちょっと行き過ぎている気がするし、あまり楽しそうな選択じゃないっていう、それだけ。 

人生って、厳しいのもいいけど、それよりも、楽しい方がいいんちゃうかあと思って。

さて、次は②のこと。いろんな話が出てきたけん、最初のきっかけをおさらいすると。

人って、おもしろいものや、楽しそうなものを、作ったり、提供しているんちゃうかなあと思って。

そうやって、世界って成り立っている部分があるような気がして。

それなら、それ全部受け取ろうと思って。

これは、カナダにこっちに来て思ったこと。

5時になったら、いっせいに退社して、ホッケーをみたり、ゲームをしたり、サッカーしたり、カフェにいったり、ああこんな大人も遊んでんだあって気づく。

最近さあよく思うのが、おもろい、よい、というものを基本的に、人は作ってるんじゃないかなあと。

最近グーグルしかり、ITについて沢山知る機会があって、その凄さとおもろさに驚く。

ほんなら、それをおもろいと思う自分になろうと思って。

例えば、IT
ITの事なんて、いっちょんわからんばってん、やろうとしてみたらいい。

実際にプログラミングをしてみたら、その凄さに気づくし、おもろさに気づく。

他にも、知らないスポーツをやってみてみるとか、新しい言語をしって、おもろい行事に参加してみるとか。

そういう風に、おもろいと思える状態になろうと。

別に、一人でトライするのも、楽しむのもいい。

楽しい事が複数なら、複数でいい。

俺は、好きなモノを周りに薦める傾向があんで、受け入れてもらえたら、そいつと一緒にまた楽しもうと。

「そんなのは、大人や社会人がすることじゃない」と言われても、笑われても大丈夫なようにね。

他にも、前に思ったとばってん、「やりたい事は何?」って聞かれて、「やりたい事ない!!わからない!!」って結構な人は言う。

けど、実はやりたい事ばっかなんちゃうか、と思う。

それがあたかも、人生かけてやらないけん、みたいななるけん、わからんごーなる。

やりたいことは、カードゲーム!!でもいいじゃない。

最後にまとめると、生きるのっておもれえなあ。

社会って楽だなあ。

って発言が一瞬でも出るぐらいの、感じれるぐらいの環境を作れてたらいいなあと思う。

悲しいことや辛い事は、ごめんください、って勝手に訪れてくるだろうしね。

さて、そのためにどうするか?

先ずは、奨学金を返すために数年働いて、それからおもろいと思う事をやろうとするのでした。

話が飛び飛びトンビで理解出来なかったら、申し訳なす。

ちゃんちゃん。

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