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2012年7月17日火曜日

清水幾太郎

「全体」
第30話からなる。章という区別はない。

「要約」
P9
人間というものは、生まれつき、文章の書ける人と書けない人に分かれている。言い換えて、文章とおいうものに縁のある人と、縁のない人とに分かれている。

文章というものに縁のある人とは、文字や言葉や文章に相当の好き嫌いのある人のこと。

私たちは、色んな文章や言葉を読んでいる。その中のある文字・言葉・文章を大変に好きだと思い、反対に、その中のある文字・言葉・文章を非常に嫌だと感じるような人、そういう人は、立派な文章を書ける素質のある人だろうと思います。

P11
文字の好き嫌いに関して、この著者の体験。
P13
立派な文章が書けるようになるには、作家でもよい、学者でもよい、自分の好きな文体の所有者の文章を徹底的に真似をすることです。実際に、その人の運昇と瓜二つのような文章を何編も書いてみることです。


P30
自分の考えと、世の中の奥の考えとが一致してれば、わざわざ、文章などという面倒なものを書く必要はない。


P35
強い表現を避けるというのが、文章修行の上で非常に重要な点をあるような気がする。なぜなら、文章を書く場合、私たちは、いつでも、強い表現へたちを押し流していこうとする力に巻き込まれる。

P36
自分の気持の中の不安とか疑惑とか憤怒とかいうものになると、そのホンモノの姿を誰でも知っているというわけにはいかない。自分の心の中にだけあるもの、しかも、自分の文字や言葉によって始めて社会的に存在することkが出来るもの。そうして、文字は頼りないもの、影のようなものだと気がついた瞬間、それが人情というものなのか、強い表現を使って、文字の頼りなさを少しでも補おうとする。しかし、そうすればそうするほど、読んでくれる人の気持ちは遠ざかっていく。

P56
落語家の言葉は、どこにも無駄がない。

P61
文章を書く場合は、自分の使った言葉の定義を求められた時のことを考えておかなければならない。

P64
常識も同じことで、持っていないと恥をかくが、自慢そうに見せても恥をかくもの。

P69
手紙を書くのが、なぜ文章の修行の最高の方法か。それは、大部分の手紙が頼みごとを内容としているから。読者の心を動かすための、いろいろな工夫が必要になってくる。

P71
口頭での話なら、後になって、そんなことは言った覚えがない、とか、そういつつもりではなかった、と言える。しかし、手紙では出来ない。つまり、手紙は、1つの証文である。結果、手紙で結ばれた昔の人々の友情のほうが、今日の友情に比べて、深く厚かったのではないか。

なぜなら、人生に証拠を残しながら交際しあっていたから。そんな人間を煩わしいと感じながら、しかし、私たちは、こころのどこかで、そういう論理的な人間関係を求めているような気もする。

P87
文章を書くのは、3つの条件がある。1つ。文章を書き始める前に、完成後のイメージを心に持つこと。2つ。いろいろな材料を事前に用意しておく。3つ。材料を実際に使う場合の順序を決定しておかなければならない。

P184
自分の過去を整理し、自分の過去の意味を明らかにするのが、自伝というものの生命です。

あの本を書いた時、私は友人の冷笑を買いましたけれども、現在の私は、自伝の試みは若い内にやった方がよい、と胸を張って言いたいのです。自分の生涯が完結したら、書くのに都合がよいかもしれませんが、その文章は、これからの自分の成長には役立ちません。なぜなら、自分に残されているのは死だけだから。

「意見」
まず、この人の文章は、④の井上さんと同じく、かなり読みやすい。

この清水幾太郎さんは、1907年生まれ。文体は古い。

①文章というものに縁のある人とは、文字や言葉や文章に相当の好き嫌いのある人のこと。

この事について考えた時、自分はどうなんやろか。

「風」という言葉は最近大好きだ。

②自分の好きな文体の所有者の文章を徹底的に真似をするこです。

好きな作家は、伊坂幸太郎と山崎豊子とビートたけし。

本格的に勉強しようと思ったら、伊坂幸太郎を真似るだろう。

ただ、なぜ、伊坂幸太郎が好きなのか。検証する必要でてくるな。別に書こう。

③自分の考えと、世の中の奥の考えとが一致してれば、わざわざ、文章などという面倒なものを書く必要はない。

この文章を読んだ時、THE BACK HORNの「キズナソング」の歌詞と似ていると感じた。

「誰もがみんな幸せなら、歌なんて生まれないさ。」

文章に関しても、こういうことがあるのかな。

一致していないから、書く。という流れなのだろうか。誰かと話をしたい。

④強い表現を避けるというのが、非常に重要な点。なぜなら、文章を書く場合、私たちは、強い表現へたちを押し流していこうとする力に巻き込まれる。文字は頼りないもの、影のようなものだと気がついた瞬間、強い表現を使って、文字の頼りなさを少しでも補おうとする。しかし、そうすればそうするほど、読んでくれる人の気持ちは遠ざかっていく。

これは教訓にしたい。

ぼやかすために使っている表現があることは認識出来ている。

強い表現というのは、自分の文章でどれにあたるのだろう。

この④は、唯一この本に書かれてあったこと。非常に面白い。気をつけよう。

⑤常識も同じことで、持っていないと恥をかくが、自慢そうに見せても恥をかくもの。

これは、人生の教訓として、もっておきたい。

この説明だけみると理解出来ないだろう。本を読むことをオススメする。

⑥現在の私は、自伝の試みは若い内にやった方がよい、と胸を張って言いたいのです。

ここでいう自伝というのは、どこまでのことを言うのだろう。

何についての自伝を書けばいいのだろう。

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