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2012年7月19日木曜日

多田道太郎

「全体」
「いい文章をどうやったら書けるか」について、述べている。全体を7章にわけている。

第1・2章で、手紙を書くこと、良い辞書を選ぶことについて。
第3~6章で書き方。第7章で実戦の方法について。

「要約」
P82
人間が一息で読める字数は75前後。

P90
「そして・しかし」を出来るだけ省く。

P114 
「こそあど」の説明。「これ・ここ」などの「こ」が1番近く、「それ・そこ」から「あれ・あそこ」とだんだん遠くなっていく。同時に、「こ」にこめられた感情は強く、「ど」は弱い。

P117
次の例文1は、主観性が勝ちすぎている。腹が立つという感情が勝ちすぎて、身振りだけが大きな文章になっている。さらに「こころなしかさびしそうだ」も実感がなく、紋切り型になっている。

例文1
街に自動販売機の普及が激しい。どうにかならないかと思うのは、駅の自動改札機である。時々、ふゆかいな音に通せんぼされて口惜しい思いをする。機会に仕事をとりあげられた駅員さんたちも、こころなしか寂しそうだ。

P119
文章を鍛えるということも、観察眼を鍛えるとうことにはならないと、おもしろみ、あるいは深みは出てこない。

P128
個人の癖と文学の技法の間には、大きな距離がある。技法の中にその人の人生観、世界を見る目が反映しないと、おもしろい技法、効果的なテクニックにはならない。自分はなぜ、その言葉を使うのか考える必要がある。

P147
例→狭い通り、ごみごもした店並の歩道、それらを一層狭く、自動販売機の列。高さも色もすべてマチマチのジュースやコーヒーの販売機。私はいつも「嫌だなー」と思ってしまう。

著者の批評
「嫌だなー」が駄目。嫌とか愛情いった感情よりも、まず何が目についたか、そこを書く必要がある。そのことと自分の触れ合いを書く。


P156メダカの会 P193あこがれ P190フィジー

P180
文章の最後を「だ」にするか「である」にするか思い悩みノイローゼになった批評家がいる。語尾を何で終わらせるか、文章で生きている人は気になる。

「意見」最初この本を読んだとき、とにかく読みにくかった。

理由の1つは、この著者のいうことを少し上から目線だと感じたため。
2つめは、一向に本題に向かわないため。

文章や言葉が本当に好きな人は、第4章から読むと楽しめる。

①紋切り型

この本には、よく紋切り型(もんきりがた)という言葉が出てくる。
(紋切り型とは、「決まりきった形式。型通りのやり方」という意味。読み方すら知らなかった。)

この本の例では、「こころなしかさびしそうだ・~と思う今日この頃である」は紋切り型であると説明している。確かに、よーくよく考えると、紋切り型を沢山使っている気がするね。

なぜに、紋切り型をこの著者は批判しているかというと、自分の言葉を使っていないから。

この「自分の言葉を使っていない」というのは、今は思いつかないけれど、頭の隅に置いていたら、何か別の事を発見出来そうな気がする。

②文章を鍛えるということも、観察眼を鍛えるとうことにはならないと

小説やエッセイを読んでいて、よくこんなことを思いつくなと考えるときがある。

それは、ようするに、その著者の観察眼に起因することもあるのか。

そう考えると、「書くこと」ってのは、普段の生活を劇的に変化させる必要があるね。

ただ、面白い!!

③そのことと自分の触れ合いを書く


これは、この文章自体が素敵だ。

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