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2015年8月17日月曜日

最近の日々「盆明けのドトールにて」

今は名古屋駅近くのドトールにいる。ノートに殴り書くような、いつもの文章をここに書いてみる。

お盆は特に何もしなかった。東京に行って彼女に会って、神宮で野球とラグビーを見て、何人かの友人に会った。長崎に帰ろうと思ったけれど、帰ったとしても、家族といつもの友人と会うぐらいなので(頭で想像出来るぐらいの面白さ)、帰省することをやめた。ただ、今となっては、名古屋でも東京でも特に何もしなかったので、親や親戚に顔を見せるという意味では、帰った方がよかったなと後悔しているのであった(今年の目標の1つである、「今までお世話になった人を大事にする」ということにも反する行動であった)。



今日の名古屋は、月曜日であることもあって、盆の雰囲気はどこにもない。あー、明日から仕事かーと思うと少し憂鬱になるけれど、こうやって、自分の意志とは無関係に、体が動き始める、この社会人ってやつはいいもんだなーと思うときがある(フリーター時代は動き出す流れを自分から作る必要があって、止まるときはずっと止まっていたし、動き出すのが最初はきつかった。)。

甲子園に行くか昨夜に迷って、結局行かなかった。明日の仕事がぼろぼろになってしまうと思って、そう判断した。名古屋にいると決めたものの、それなりのことをしているかというと違って、あーと、また、うなされるのであった。

盆中に、大学の友人とあった。働いている人と会うと、今自分が働いている環境や会社って、悪くないなあ、むしろ、良いなあと思う。評価軸は基本的にシンプルで、言いたいことは言えるし、やることをやれば、深く咎められない。今、目の前にある仕事を頑張ろうと思えるのであった。

神宮でプロ野球を見て、あー、野球場ってきれいだなーと思った。昔、アメリカで感じた感覚を思い出した。人が動く理由って結構シンプルなのかなと思う。綺麗だとか、認められたいとか、誇りたいとか、自分の居場所がほしいとか、好きとか嫌いとか。動機とか理由とかをいろいろ求めたり意味付けたりするけれど、根本的なところはシンプルな感情で、そういうまっすぐに感じた感覚を信じれる自分でいたいと思うときがある。

さっきまで、漫画喫茶で、キングダムを読んでいた。中国の歴史に関する漫画。1回読み切ったので、もう一回全部読もうと、気づいたら3時間ぐらいたっていた。かなり面白くて、当時の時代に関するWikipediaをずっと読んでいる。知ることって面白いんだなあと、昔感じた感覚をこれまた思い出した。

この盆中は、時間があったら、気づいたら、野球を見ていた。甲子園とメジャーリーグ。真面目に見てしまうと、自分の何かが持たないので、出来るだけ、真剣に見ないようにと、変な見方をしてしまう。なんだこれ。

昔の上司と会うために、歌舞伎町に行った。コマ劇のところには大きな建物がたっていて、前とは違い、キレイになっていた。キャッチや怪しそうな人がいなくて、整理された雰囲気があった。ああ、街自体はキレイになっていくものの、どんどんと生きにくくなっているようなあと久しぶりに感じた。パチンコ屋の横の広間にいたあの人たちは今どこに移動しているのかなあと少し寂しく思ったのであった。なんか、とりとめもない文章を書いてみたいなあ。

今日は何をしたほうがいいのか?というリストをまずは作って、1日を始める。洗濯や部屋の片付けといった身近なことから、テレアポの作成や開拓したい企業のリストアップといった仕事のことからすべて書き出す。そうやって、片付けた方がいいことを書き出し、優先順位をつけて、今日の何時までにそれを終わらせるかを決めて、そして、とりかかる。終わらなかったことは、次週の土日に持ち越して、また同じことを繰り返す。そういうことがなんとなく癖付けされていると、なんでもかんでも、計画をたてようとしてて、動き出す前に、その行動のアウトプットをイメージしてしまい、その想像がよくないと、選択肢から消すということをやってしまう。計画をたてることがいつも良いとは限らないと自分を諭す。

そういえば、本を読んでみようと思って、伊坂幸太郎の本を久しぶりに買った。PKとバイバイブラックバードの2冊。伊坂さんが書かれた雰囲気の文章であるものの、雑誌のために執筆しているのか、どちらも面白くなかった。全部読み尽くして、また、動画でも作りたいなあ。本を読む面白さを、これまた、久しぶりに感じた。

東京に行こうと、友人と会おうと、この拭えない、肩にのりかかる重さってなんだろうなあとこのお盆に思った。第二四半期に掲げている、営業としての数字の重さからくるものなのか、将来に対するモワモワとした重圧なのか。まあどちらともだけれど、にしても、自分は切り替えが下手で、真面目に思いすぎる人間なのかなあと思う。まあだから、鬱病とかをあながち馬鹿に出来ない自分がいるのであった。

こうやって書いては見たものの、こういうWeb上だと、誰かに読まれることを多少は気にしてしまうので、内面の暗さや感情の部分がどうにもこうにも書けない。なんか、面白くない。やはり、誰にも見られない、紙に落とすのがベストである。といいつつ、なぜ、このようなWebに落とすかというと、今こうやって書いている文章が、いずれ、自分の支えになるからであった。こういう、まとまってもいない文章をもっともっと書きたい。

いろいろと、考えた方がいいことがたくさんあって、つぶされそうになることがたまにある。そういうときは、自分の原点に戻ろうと意識したり、指針としている文章を読んだり、文章を書いたり、外を走ったりする。そうやって今日も終わる。盆の振り返りは以上。今年の目標と、第二四半期の目標を達成するために、明日から頑張ろう。ちゃんちゃん。

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