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2011年8月2日火曜日

違和感と危機感

違和感と危機感が、自分の中に垣間見て、それがいった何なのか、思うところを書いてみた。

ただの俺の分析と葛藤笑。

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俺、地元が長崎なんだが、長崎には、今は戻れねえ。って感覚的に思っていた。
今長崎に戻ることは、ぬるま湯に浸かるような気がするのが一番の原因かな。どうしても時間がゆっくりだし、都市部ほど仕事があるわけでもない。精進してやるぞ!って人もあまり多く無いような気がする。もちろん、全部がそうというわけでない。

ただ、そんな危機感を感じてはいるものの、対局である、精進してやるぞ!!都市部!!みたいなとこで働きたいかっていうと、働きたくないんだよね。じゃあ一体なんやねん?ってなる。。



要するに、なにか危機感を感じているものの、意味不明な危機感なんだよね。別に、自分自身が危機感を持って、長崎で頑張ったらいいわけだし、都市部にでて働いたからといって、「どうして俺は、こんな事をしているんだろう?」もしくは、働いている気になるような気がする。
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それに似た、もうひとつの違和感は、競争したくないんだけど、競争したい。という気持ちが心の中にあること。

俺は、将来的には、あんま競争とかする社会にはいたくない。と思っている。それは、色々な理由で。ただ、野球と受験と、競争の社会を超えてきて、今は競争したい、という気持ちがある。むしろ、「何か競争しなければならない」という危機感がある。その「何か競争しなければならない」という気持ちは、よく考えると、「ひとまず、何か忙しい事をやれば解決するだろう。」ってのが根底にあるような気がする。それって、何かおかしいよね。何かずれている。

そして、仮に競争したいという分野に入ったとしても、日本の礼儀とか、マナー、みんなと一緒に行動する事、上司の言うことは絶対とか、俺そういうの合わんのよなあ。成果だけだせたら駄目なのかな?って思ってまう。他にも色々、恐れず発言する。そんな事を実際に発言したら、大変な事になることも予想出来る笑。

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今考えているのは、確かに、今の俺らの年は、何かと競争するという事は重要な気がする。なので、どうせなら「世界」と競争しようとしたらどうかなあっと思って。世界と競争しようとしたら、ぬるま湯とかあるわけがない。果てしない競争の社会。俺は外の国の事を知らぬが、日本ほど、ルールや礼儀に厳しくないイメージもあるし、上司の言うことは絶対でないし、みんなと一緒に行動しようとする必要もないような気がする。これは、隣の芝は青い?って気もするので、気を付けないといけないんだけど。

そうなったとき、一瞬で、自分の中に戦えるものって、殆どないな、って思う。次に、ほな、その中でも戦えるものってなんだろうか?ってなる。

そんな風に、また今日も悩む日々を過ごすのでした。


世界と勝負出来る、自分の中にあるものってなんだろう?

ちゃんちゃん。

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