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2011年7月10日日曜日

最近の日々「바람」

2011年7月10日にmixiに書いた日記。

おーい

最近、思ったことを簡単に書き連ねた。

例えば、一日の中に朝と夜という時間がある事が、ありがたく思える。

朝は、元気が出るし、何かしでかす前の前兆みたいな雰囲気を楽しめる。

夜は、物思いにふけれるし、音楽が心にしみる。

例えば、夜に外に出ると、小さい頃に、素振りをしていた事を思い出す。

全然ヒットが打てなかった日々も、気づいたら忘れていた。

例えば、コナンのOPソングを聞くと、松山ぐらいまでしか移動距離がなかった中学時代を思い出す。

未知の土地に足を踏み入れる勇気を、気づいたら手に入れていた。

例えば、スターバックスに行ったら、野球部で、夢彩都のスタバに初めて行った事を思い出す。

あの瞬間は、二度と訪れる事はない。けれども、こうやって、また違った感覚で自分を訪ねてくれる。

例えば、バスや電車に乗っていると、このままどこにもつかないでくれ、と、時々願う自分がいる。

なんでそう思うのか、よくわからない。着いたら、動きだなければいけないからか。

例えば、一番仲の良い韓国人から、お前と出会えてよかった、と言われた。

ああ、俺にも生きる価値があるんだなあ、って思った。

例えば、NYやここで地下鉄に乗っているときに、俺は、どこにいるんだ?っていう錯覚に陥る。

でも、ふっと、我に帰って、確かに歩き出す。

例えば、最近、人からどう思われるかなんて、どうでもいいや、って思うようになった。

そしたら、誰からでもなく、自分から勝負を挑まれた。波動拳。

例えば、隣人が、俺を日記に出してくれて、アヒルと鴨のコインロッカーを思い出した。

あの切なさが今になってわかって、ああ、こんな事が起こるんだなって思った。

例えば、ある人のツイートで、「あー、アイツつまんなくなったなー、って思うことがこれから沢山あるだろう。そして、自分も思われるんだろう。」

そんな事が、これから沢山起こるんだろうって予感がしてて、少し寂しくなる。

例えば、母さんに、「お金は気にするな。いい経験にしてくれ。」って言われて、

ああ、母さん達は、したくても出来なかった経験を、俺は、当たり前のようにしている。動き出したのは、俺だけど、動き出せたのは、俺じゃない。

例えば、誰かが楽しく生きることで、誰かはダメージを受けているなって思った。

でも、それでも、自分が楽しく生きたいなら、そうするしかなさそうだって思った。

例えば、韓国人と一緒にいて、言いたい事が言えない距離感が心地よかったりする。

どうしても伝えたいことは、必死になって、お互い伝え合おうとする。

普段俺らが話をしていることの中に、どれだけ大切な事が、伝えたい事が含まれているのだろう。

そういう事で、日常で思うことを並べてみた。

ちゃんちゃん。

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